みなさま、こんにちは。
今日は、1979年の冬に多田かおる先生が訪れた「能登半島」への旅をご紹介します。
多田先生が能登を訪ねられたのは、19歳の冬。
少女漫画家としてデビューされて間もない頃で、仲のよいご友人と1泊2日の旅を楽しまれたようです。
今回のブログでは、先生が残された旅の写真を手がかりに、私が実際に能登を訪ねた際の様子をお届けします。
私が旅したのは2020年。
先生が歩かれた1979年当時の写真を重ねながら、同じ景色や空気を感じていただければと思います。
1日目:宿泊は「国民宿舎 能登つるぎぢ荘」へ
先生が宿泊されたのは、輪島市(旧・門前町)にあった「国民宿舎 能登つるぎぢ荘」。
残念ながらこの宿は2010年3月に閉業していますが、私が訪れた2020年当時は、まだ建物がそのまま残っていました。
先生が宿の前で撮影された写真を手に、同じ場所に立ってみると、
「ここに先生がいらっしゃったんだなぁ」と、胸の奥がじんと熱くなりました。
鳴き砂の「琴ヶ浜」へ
宿から歩いて10分ほどの場所に、鳴き砂で知られる「琴ヶ浜」があります。
先生が撮られた写真の多くは、この浜辺でのもの。
ご友人と海を眺めたり、波と戯れたり——冬の静かな海で、穏やかな時間を過ごされたようです。
この琴ヶ浜は、ドラマのロケ地としても使われ、美しい白砂と透明度の高い青い海が人気です。
私が訪れたのは11月。
空気はひんやりしていましたが、鳴き砂の感触や、波音の静けさが心地よい場所でした。
面白い形の岩などを見ながら小1時間ほどの散策を楽しみました。
2日目:輪島の朝市と港へ
翌日は輪島へ移動。
朝市では、買い物を楽しんだり、地元の方々と一緒に撮影をした写真が残されています。
朝市を楽しんだあとは、輪島港へ。
この日はあいにくの雨だったようですが、海を見渡せる場所を気に入られたようで、
何枚も写真を撮られています。
輪島駅での写真も残されていました。

先生はここから金沢へと向かわれたようです。
輪島駅は2001年に廃線となりましたが、現在は「道の駅 輪島」として駅舎が保存され、
訪れる人々の憩いの場になっています。

金沢・兼六園へ
旅の最後に先生が訪れたのは、金沢の「兼六園」。
暮れの雨の中、傘を手にされた先生の笑顔がとても印象的で、
寒さの中でも旅を満喫されていた様子が伝わってきます。

先生はこの能登旅行の後、1980年のはじめに『エイプリル方程式』を執筆されました。
女子高生の失恋と新たな恋の物語です。こちらもぜひご覧ください。
多田かおる初の巻頭カラー作品『エイプリル方程式』。秋に始まる恋、 ...
今の能登へ思いを寄せて
多田先生が19歳のときに訪れた、能登の風景。
その面影を探しながら歩くと、どこかに先生の笑顔が見えるような気がしました。
この旅行記は2020年に訪れた際の記録ですが、
その後の2024年の地震や大雨で、能登半島は大きな被害を受けました。
それでも地元の方々のたゆまぬ努力によって、少しずつ復興が進んでいると聞きます。
多田先生の足跡をたどりながら、今の能登を訪ねてみませんか?
